大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和56年(う)459号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を無期懲役に処する。

原審の未決勾留日数中四五〇日を右刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人藤木孝男提出の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、本件各犯行の動機には全く酌量の余地がないこと、本件は、ことに原判示第二の犯行は被告人が周到な計画をたて、助命を懇願する被害者を鋭利な包丁で突き刺して殺害したうえ金員を強取した残虐かつ非道な犯行であること、被害者は円満な家庭生活を営み勤務先においても将来を嘱望されていたもので、本件において責められるべき点は全くないこと、被害者の遺族に対しては何ら慰藉の措置がとられていず、遺族は厳罰を望んでいること、被告人には反省の態度がみられないこと、本件が近隣住民等社会一般に与えた影響も極めて重大であること等の諸点に徴し犯情は極めて悪質であつて、酌量すべき事情がないのに、あえて酌量減軽して被告人を懲役一五年に処した原判決の量刑は、著しく軽きに失し不当である、というのである。

そこで、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調の結果をも合わせて情状をみると、本件は、原判示のとおり、被告人がギャンブルにふけり、サラリーマン金融から借金を重ねるなどして金員に窮したところから勤務先の会社支店長が集金した会社の売上金を強奪しようと企て、(一)右犯行のため時間待ちをするのに所持金がなかつたため、勤務先寮の同僚の部屋で、一万五五〇〇円を窃取し、(二)右窃取した金員で飲酒するなどして時間待ちしたうえ、計画に従つて会社の売上金を強取すべく、前記支店長に対し、予め用意した刃体の長さ約一六センチメートルの骨透包丁を突きつけて脅迫しその反抗を抑圧して金員を強取しようとしたところ、同支店長が包丁をもつた被告人の手首を掴むなどして抵抗したことから、同支店長と揉合いとなり、かなりの物音を立てるに至つたため、同人を静かにさせようと焦り、同人の手を振りほどいた瞬間、逮捕を免れ金品強奪の目的を遂げるため、右手に持つた前記包丁で同人を刺そうと決意し、死の結果を生ずることを知りながら、あえて同人の左側胸部を力一杯突き刺し、同人を左側胸部刺創により惹起された心臓損傷による失血により即死させて殺害したうえ、同人から現金五万四〇〇〇円を強取した、という事案である。そして、本件各犯行に至る経緯・犯行動機については、原判決が、「犯行に至る経緯」欄で詳細に説示するところは関係証拠に照らし相当として是認することができ、また、原判決が、「量刑の事情」欄前段において、被告人がギャンブルにこり金銭に窮して強盗を計画した点において、犯行動機に全く酌量の余地がなく、予め兇器を準備し、これを用いて被害者を脅し売上金を強奪すべく周到な計画をたてたこと、刃体の長さ約一六センチメートルの骨透包丁という殺傷能力の極めて高い兇器を用いたこと、被害者の必死の抵抗にあい、その間同人から助命を懇願されながらあえて殺害行為に及んだものであつて犯行態様の悪質なこと、被害者に全く落度がなく、突然の災難に遭つた被害者の恐怖感及び無念さ並びに遺族の受けた打撃は測り知れないこと、社会一般に与えた影響も重大であることなどを挙げて被告人の刑責が極めて重いものである旨説示した点は、関係証拠により相当として首肯しうるところである。さらに考えると、ことに原判示第二の犯行(以下、本件または本件犯行という。)は、利欲のために何物にも替え難い被害者の生命を奪つたもので、犯意及び結果の両面からみて刑法上最も兇悪とされる強盗殺人の既遂事件であり、当初強盗の意図であつたにせよ、その実行については極めて周到な計画と準備のもとに行われたもので、このことは、犯行の三日前にこれを思い立ち、支店長の集金時刻、犯行の手段・方法等をあれこれ考え、犯行前日には逃走準備のため予め従業員寮の自室にある自己の荷物をひそかにとりまとめて近くの駅のコインロッカーに入れ、犯行当日は同僚の骨透包丁をかくして持ち出し、被害者たる支店長が集金した売上金を事務室で整理計算し始める午後八時ころに襲うこととし、長時間職場を離脱すれば居室を捜されて荷物のないことを発見され犯行遂行に支障を生ずるおそれのあることを慮り、店外から電話で職場のレストラン「藍」の店長に店を休む旨連絡し、飲食店で飲酒しながら時間待ちをしたうえ、支店事務室に忍び込んで、その企図を実行するに至つたことから明らかである。しかも、本件犯行態様が残忍かつ非道であることは、被害者が被告人の勤務する会社の支店長であつて、平素被告人からの金員借用の申入れやその返済猶予の申入れにも快く応ずるなど被告人に対し好意ある態度で接していた人物であり、本件当時も被告人に対し何度も助命を懇願したのにかかわらず、被告人は、これを顧慮した様子もなく、未必の殺意をもつて、刃体の長さ約一六センチメートルの極めて鋭利な骨透包丁で深さ約一九センチメートルに及び心臓に達する強烈な一撃を加え、出血のため即死させ、なおも物欲に執心し現金強取を遂げているということからも十分に認められる。他方、被害者は四一歳で妻子と円満な家庭を営み、性格も温和であり、職場の上司及び部下からの評判がよく将来を嘱望されていた人物で、本件においても何ら責めらるべき点がなく、遺族も被告人に対し極刑さえ望んでいて被害感情が強い。被告人は反省の情を示しているとはいえ、遺族に対し何ら慰藉の方法をとつていず、さらに、本件が近隣住民等社会一般に与えた不安、恐怖及び衝撃を考えると、その責任は厳しく追求されねばならない。

ところで、原判決が「量刑の事情」欄後段において、酌量減軽をした理由として、被告人が本件犯行を計画するにあたり、包丁で脅せば被害者はすぐに金を渡すものと安易に思い込んでいたため被害者を殺すことを全く考えていなかつたこと、予想外の被害者の抵抗にあつて動転し揉合いの挙句もつぱら被害者を静かにさせる目的で殺害行為に及んだこと、殺害の点について被告人の思慮の浅さに帰因しているとはいえ偶発的要素がかなり認められること、被告人は本件犯行後自ら捜査機関に出頭したこと、深く反省の情が窺えること、罰金以外に前科がないことを挙げて説示するのに対し、検察官は、右各点はいずれも酌量減軽の理由とはなりえないとして種々論難する。そこ判旨で、検討すると、(イ)被告人が被害者から金員を強取するにあたり当初から被害者を殺害する意思を有していたとは認め難いが、被害者は被告人の勤務先の上司であつて被告人と顔見知りの間柄であるので、被告人により犯跡隠蔽のため生命を奪われるに至ることをおそれて抵抗し、或いは被告人の強取行為を制止することも十分に考えられることであるから、被害者がたやすく金を渡してくれると考えたとしたり、被害者の予想外の抵抗にあつたとしたりしてこれを単なる被告人の思慮浅薄に帰せしめ、その刑責を軽いとすることは洞察に欠けるきらいがあるものというべきである。(ロ)また、原判決は、被告人が、「予想外の被害者の抵抗にあつて動転し揉合いの挙句、もつぱら被害者を静かにさせる目的で殺害行為に及んだ」として、あたかも被害者の抵抗が被告人の殺害行為を誘発したかのように説示しているが、前示のとおり被害者の抵抗は当然予想されるところであり、被害者は夜間事務室に忍び込んできた従業員の被告人から突然鋭利な包丁を突きつけられ驚愕し、狼狽して、生命の危険を感じ自己を防禦しようとして反射的、本能的に包丁を握つている被告人の手首を掴んだものと考えられ、しかも、これが発端となつて被告人と揉合いになつたとはいえ、その間被告人に対し何回も助命を懇願し、もつぱら防禦的行為に終始していたのに、被告人において被害者の手をふりほどきざま、あえてその左側胸部を包丁で強く突き刺したものであり、その間被害者に対し、静かにするよう警告したり殺意のない旨告げたりした形跡は全く窺われないうえ、右殺害行為に及んだのは、原判決も認定しているように、あくまでも逮捕を免れ金員強取の目的を遂げる意図に出たものであるから、「もつぱら静かにさせる目的の殺害行為」という文意自体も説示の趣旨も不可解であつて、殺害の点にやや偶発的要素があつたとしても、いやしくも金銭のため人の貴重な生命を奪つた本件所為の重大性に照らすと、原判決が説示する右事情をもつて有利な情状とすることは失当というべきである。(ハ)さらに、原判決が説示する「被告人が犯行後自ら捜査機関に出頭した」との点も、被告人は本件犯行後逃走し、安宿を転々としながら、強奪した金員をギャンブルや遊興に使い果たした挙句、すでに指名手配されていて逃げきれないと思い、捜査機関に出頭したにすぎず、もとより心底から反省・悔悟によるものでも自首に該当するものでもなく、一応有利な情状とはいえ過大に評価することはできない。(ニ)その他被告人に罰金刑以外の前科のない点も、被告人の長期にわたる乱れた生活態度や行状、多額の借財を親族に負担させ或はその経済的犠牲において刑事処分を免れ、無反省にも享楽生活を反覆し、ついには家庭生活を破壊していることなどにかんがみると、情状としてはさほど重視できるほどのものではない。以上原判決が酌量減軽の事由として挙げる諸点は全面的には首肯できず、被告人にとつて有利な事情をできるかぎり考慮しても、本件犯行の動機、計画性、罪質、態様、被害者に落度のないこと、慰藉の方法が講じられていないこと、社会に与えた衝撃も大きいこと等と総合対比して考察すると、本件において、被告人の刑責は極めて重大というべきであるから、原判決が原判示強盗殺人の罪の所定刑中無期懲役刑を選択し、原判示窃盗罪の刑を科さないことにしたのは相当であるけれども、右無期懲役刑につきさらに犯罪の情状憫諒すべきものとして酌量減軽をするほどの理由があるとは到底認めることができない。

してみると、右の酌量減軽をしたうえ被告人を懲役一五年に処した原判決の量刑は著しく軽きに失し不当というべきであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、さらに次のとおり判決する。

原判決が証拠により認定した罪となるべき各事実は原判決の挙示する各法条にそれぞれ該当するところ、原判示第二の罪については所定刑中無期懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから同法四六条二項により他の刑を科さないこととして被告人を無期懲役に処し、原審における未決勾留日数中四五〇日を刑法二一条により原判決の刑に算入し、原審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書によりその全部を被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(高山政一 簑原茂廣 千葉裕)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例